【タタールスタンの作曲家】ロステム・ヤヒンを少し紹介!

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こんにちは、こんばんは、アーニャです。
モスクワからカザン音楽院への遠征から早くも1年経とうとしています。
(行けたのがホント奇跡)

本日、このブログと同時にYouTubeにも動画をUPしましたが、観ていただけたでしょうか?

縁あって初めて聴いたときから「綺麗!」と虜になったこの作品の名は『即興ワルツ』

この曲の作曲家、ロステム・ヤヒンをご紹介いたします。

目次

誰?

タタールスタンで有名な作曲家、ピアニストです。
400を超える歌曲や、20以上のピアノ曲を作曲しました。

現在のタタールスタン共和国国歌もロステム・ヤヒンが作曲。

有名な曲は恐らく『Китмэ сандугач(行き給うことなかれ、ナイチンゲールよ)』ではないでしょうか。
元々は歌曲ですが、ピアノ曲としても編曲されております。

タタールスタン出身のピアニスト、レム・ウラシンが演奏するピアノ独奏版。
ウラシンは他にも、ヤヒンの作品を始め、現代の作曲家を積極的に演奏しています。

なお、私はタタール語は辞書は持っているがなんとなくの読み方しか知らないため、Китмэをロシア語に訳してから日本語にするときに「去るな、ナイチンゲール!」と訳そうとしていたところ、こちらのサイトを発見して大変助けられました。
タタールスタンのことはこのサイトにお任せ!というくらい素晴らしいのでぜひに。

タタール情報局アクバルスより→ http://tat-inform-aqbars.blogspot.com/2015/08/blog-post_90.html

ロステム・ヤヒン(プロフィール)

1923年8月16日、カザン生まれ。
作曲家でもあり、ピアニスト、教師でもあった。

カザン子供音楽学校を終了後、モスクワ音楽院の附属高等学校ピアノで進学。
А.Г.Руббахのクラスで学んでいたが、戦争のため勉強を中断。

病気で手術をした後にヤヒンはカザンへ戻り、タタールラジオ委員のピアニストとして活動。
そのころに作曲もスタート。

1942年、ソビエト軍に入る。
その頃にいくつかの歌曲も作曲し、その歌曲はヤヒンのピアノ伴奏でソビエト軍のアンサンブルと歌で演奏されたそう。

1945年に軍脱退後、モスクワ音楽院 作曲科で学ぶ。
1950年に音楽院卒業後、カザン音楽院にて作曲とアンサンブルを教え始めるが、1952年に健康上の理由で音楽院で教鞭をとるのをやめる。

ソビエトの各地で彼は、作曲家・ピアニストとしてコンサートを行った。
1968年にはフィンランドでコンサートに、1977年にはユーゴスラヴィアでの国際現代音楽祭へ呼ばれる。

参考:http://gabdullatukay.ru/rus/tukay-prize/laureates/1959-god/yahin-rustem-muhamethazeevich-ndash-kompozitor/

終わりに

今回はロステム・ヤヒンを少し紹介いたしました。

YouTubeに投稿した即興ワルツの動画内で出てきた写真たちは、こちらの動画でしっかりと観ることが可能です。

前編

後編

私ももっとヤヒンについて知りたくなっています。
ご縁があり、他の曲の楽譜もちょっと手に入れられているのでまた演奏するかも……。

それでは、また更新しますー!

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この記事を書いた人

山口紺碧|音大卒クラシックピアノ弾き|【AnyaPlus】動画・デザイン制作・物書きのお仕事もしてます|YouTube【ピアノ弾きアーニャちゃんねる】

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